「種差/tanesashi」、「オラン/Oran」――そして猫たち / 稲村真実
稲村 真実 INAMURA Mami (フランス文学、エレーヌ・シクスー研究、東京在住)
► 「種差シリーズ」——と名付けられたICANOF主催の企画展とギャラリートークに私が参加したのは、昨年(2014) 8月の矢野静明展からである。初めて訪れた八戸はちょうど雨がやんだばかりで、空にうっすらと美しい虹が見えた。八戸市美術館のギャラリーでは、夏の種差海岸から臨む海の色を彷彿(ほうふつ)させる「青・青・青」による壁一面を覆う絵画や、〈移動・移民〉、〈トラック・轍(わだち)〉などをテーマとした、塗り重ねられた深い赤や黄土色のうえに黒い小さな十字や楔形や幾何学模様が散らばる画面、また細い木炭で時間を縫うように紙の肌理(きめ)を丹念に辿っている木炭画たちが並べられていた。

《笹岡啓子~種差 ninoshima 展》 2015年、八戸市美術館2F
► 今年(2015) 8月の「種差シリーズ」では、写真家笹岡啓子による、大きなスクリーンの種差海岸と手前の小型モニターに映される東日本大震災の被災地の写真との「眼差しの往復」を可能にする、いわば同時に見ることを不可能にする、眩惑(げんわく)的なプロジェクション空間が提示された。二階ギャラリーでは、被爆地広島の資料展示を見る人々を背後からとらえた、過去と現在を混融させるような写真展示によって、生者こそが影のように「沈みゆく闇」を見つめるイメージ空間が生み出されていた。

2015年ICANOF展ギャラリートーク《動物であることを学ぶ、終(つい)に》(左から)東琢磨・佐藤英和・鵜飼哲、八戸市美術館2F。このタイトルは、デリダの遺著ともいうべき『生きることを学ぶ、終(つい)に』と『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』という両著(いずれも鵜飼哲訳)に依拠しているのは過言を待たない。
► こうした一見安易な言葉を受けつけないように見える、「手」や「目」によって緻密になされた仕事を前にして、言葉はいったいどのように差し向けられるだろうか? 展示された作品と対峙した人々が、そこで受けとった言語以前の感覚を損なうことなく、そこからさらに作品の奥へ降りて行くために言葉ができることとは何なのか? ——初めて参加した時から、繰り返し訪れる問いとはまさしくこうしたことだった。
► 「種差/tanesashi」という言葉は、この地が三陸復興国立公園に指定された2013年から企画展の名となり、そして続けられている。キュレーターの豊島重之による一文のなかで、たった一語のように見える「種差/tanesashi」という言葉は、その地の自然、歴史、社会的な背景、時間の深層を呼び起こしながら、そこを訪れ、制作をし、また記録をした無数の人々の痕跡の場として現れる。その「種差/tanesashi」はまた、そこを起点として、たとえば、自然の猛威にさらされながらも、その多様な生命の力を振り絞るようにして再生したと言われる「浜」のように、「生」をとりまく様々な力を被(こうむ)りながらも、懸命に現在を生きようとするものたちの営みや仕事を、一見、そこから遠く離れた「外部」とも行き来させながら、呼び寄せているのではないか。
►《 私は生きている人々と死んだ人々を守ることを切望するのです。というのは、
私たちはまた、死んだ人々を殺すこともできるし、彼らを埋め、際限なく消し
去ることができるからです。書きながら——エクリチュールと等価なあらゆる
もののなかで作業をしながら — クラリッセ・リスペクトールがよく言うように、
「失われたものに手を差し延べること」に至らなければなりません。 》
( エレーヌ・シクスー )

2010年ICANOF《飢餓展》で八戸市美術館に展示された豊島弘尚絵画《黒い月の手鏡》2009年、キャンバス・油彩。今回の三回忌特別展と「しのぶ会」に際して、図らずもシクスーの引用が、亡滅の彼方へ遺棄された人々を悼むどころか、デリダのみならず豊島弘尚に差し向けられた呼びかけのように思えてならない。
► ジャック・デリダ( 1930 — 2004 )とともにアルジェリアに生を受け、その後フランスで執筆活動を展開しているエレーヌ・シクスーは、1937年に地中海を臨む町オランで生まれた。父方はスペインからモロッコを経てオランに至ったユダヤ系(セファルディ)であり、母方の祖母はドイツに、祖父は東欧に起源を持つユダヤ系(アシュケナージ)という言語的にも複数のルーツを持っている。「ルクレティウスの原子の「雨」が、私の母の原子を降らせて、私の父の原子に出会っていたのでした。」1) また彼女が幼少期を過ごしたオランでは、スペイン語、アラビア語、ドイツ語、フランス語などいくつもの言語を耳にして育った。「この土地においてすべては遠くからやって来ます。近いものさえも。」

2015年豊島弘尚三回忌特別展「しのぶ会」の様子、画家の遺影に献花する参列者(左にモレキュラーのダンスアーティスト田島千征の姿が、右側には、那須のアトリエから足を運んだ画家の遺族・豊島和子さん、そして画家の長女・長男の姿も。)、八戸グランドホテル。
► 9歳でアルジェに移るために離れることになる、この「オラン/Oran」という生まれた町の名前は、たった一語でありながら、そこにいくつもの記憶や痕跡を含み、その後のシクスーの「書くという行為」や「書かれたもの」であるエクリチュールそのものになったと言う。なかでも、音の面からこの「オラン/Oran」をとらえる時、フランス語では同じ音として喚起される、「外で」(hors) と「内で」(en) を意味するふたつの前置詞の結びつきは、「外部の内部」と呼ばれるひとつの象徴的な「経験」として捉えられる。「つまり、内部にいることなしに内部にいることができる、内部のなかに内部がある、内部のなかに外部がある、しかも無限にそうなのです。私には天国のようなものとして現れていたこの場所のなかに、地獄が大きく口を開けていたのです。」2)

「しのぶ会」特別プログラム、なかのまり追悼ソロダンス《雨月/UGETSU》2015年9月、© ICANOF。シクスーのいう「内と外の移行」を純然たる他者・圧倒的な外部とみなすのではなく、もっと身近な「ネコ的な移行路=バサージュ」と捉え返すなら、それこそまさしく、なかのまりソロ=ソリチュードにほかなるまい。

なかのまり《雨月/UGETSU》2015年、八戸グランドホテル、© ICANOF 。

なかのまり《雨月/UGETSU》2015年、八戸グランドホテル、© ICANOF 。
► また一方で、「オラン – 私」を表す「オランジュ/Oran– je」(フランス語で果実の「オレンジ/Orange」と同じ音)という言葉は、絶えず「内部と外部のあいだの移行」を続けて止まないシクスーのエクリチュールの運動を紡ぎだす鍵となっている。それは、すべてが前もってひとつの序列に従って整理・分類されている私たちの生きる世界において、また、ひとつの要素、事柄、人物に、他の要素、事柄、人物に対する優越性を付与する力が作用する場において、絶えず移動や移行を繰り返すことにより、他(者)性を探し、「忘れさられ、副次的にされたものを復権させる」3) 試みとしての言葉の作業なのだ。

なかのまり《雨月/UGETSU》2015年、八戸グランドホテル、© ICANOF 。
► 内部と外部をしなやかに行き来する猫の動き。シクスーはアレテイア(真理)とフィリア(友愛)と名付けた猫たちと暮らしているというが、奇しくもデリダを常に見つめていたという猫の名はルクレース(ルクレティウス)であり、この哲学者を〈人間に固有なもの〉を常に問い直す地点へと誘うのであった。哲学者の言葉。作家の言葉。それを読む私たち。実は言葉は、生きている猫たちにも、事物たちにも、また今はなきものたちにも、見つめられているのではないか。
► 「種差/tanesashi」から「オラン/Oran」へ――それは、無数の移動から生じる道すじを作り出しながら、おびただしい「捉えがたい痕跡を辿る」という試みとして、歴史的、文化的背景のちがいを越えて、呼応しているように思われる。それぞれが「ひとつの言葉」から「生」へ向けて出発し続けることにおいて。 (2015年10月)