豊島弘尚『赤の大鴉と雨』2007年

極光の画家は【未生(みしょう)】の一語に何を託したのか/豊島重之(ICANOFキュレーター)

(^ 豊島弘尚『赤の大鴉と雨』2007年)

 

いよいよ八戸市美術館特別展《豊島弘尚展――北の光と三つの故郷》開催!

第Ⅰ部:2015年9月19日(土)~10月12日(月=祝)※全作 総展示替え
第Ⅱ部:2015年10月17日(土)~11月8日(日)
開館時刻:午前9時~午後5時/休館:9月24・28日、10月19・26日
入館料:一般300円・学生100円(市内小中生無料・高齢者障がい者半額)

主催・問合せ:八戸市美術館 TEL 0178-45-8338
http://www.city.hachinohe.aomori.jp/art/
 
豊島弘尚自筆[月~雨月~臥待(ふしまち)月]

豊島弘尚自筆[月~雨月~臥待(ふしまち)月]

 

故豊島弘尚(画家)
豊島弘尚による落款(らっかん)

弘尚巣立ちに贈った父・豊島鐘城(しょうじょう)による落款

■ 2015年9月19日(土)18時~八戸グランドホテル3F双鶴の間にて、この特別展のオープニングレセプションを兼ねて、「空に播く種子の画家 豊島弘尚~ しのぶ会」も開催される。ちょうど5年前の2010年9月に、豊島弘尚による油彩画の近作・新作を展示したICANOF 10周年企画展《飢餓之國・飢餓村・字 飢餓の木 展》が八戸市美術館で開催された。とくに2007年制作『赤の大鴉と雨』『雨月/UGETSU』や2008年制作『赤鴉(せきあ)』『緑鴉(りょくあ)』など渾身の100~150号が、ICANOFが要請する〈2010年代:飢餓の思考〉なるテーマにみごとに呼応してくれたように思う。この「しのぶ会」がICANOFを含む20名ほどの呼びかけ人による主催であり、しかもモレキュラーシアターの新鋭なかのまり(真李)によるダンスソロ『雨月/UGETSU』のステージが、会の冒頭にプログラムされているのもそのためである。
 
■ まるで《略称・飢餓展》が予告したかのように、翌2011年3月に東日本は津波や被曝など大災害に見舞われ、画家が敬愛してやまなかった三陸屈指の舞踊家、姉和子を失い、2013年晩秋、自らも姉のあとを追うようにして急逝する。翌2014年初夏、あまりにも世代が隔たるゆえ、生前の画家とまったく面識もなく、そのうえ「雨月」はもとより画家の油彩作品を一点も見たことさえない、新鋭ソリストなかのまりが『雨月/UGETSU』をテーマとしたダンスソロに挑戦する。そして幸運にも埼玉全国舞踊コンクールで上位入賞・特別賞を受賞する。こうしてクロニクルだけを追っても、「雨月の画家」豊島弘尚と「雨月のソリスト」なかのまりとの間にさしたる接点はなさそうにみえる。そうだろうか。このような事態こそが「最強のかけがえのなさ」をおのずと物語っているのではあるまいか。
 

なかのまりソロ『雨月/UGETSU』2015年
photo by Miyauchi Akiyoshi ©ICANOF

■ 画家にとって最大の宿願、万感こめた非望とは何だったのか。画題にもしばしば登場し、ことあるごとに画家の口を衝(つ)いて出たモチーフ、それは未生(みしょう)の一語である。「父母未生以前(ぶもみしょういぜん)」なる道元の仏教語はさておき、未生とは「いまだ生ぜざるもの、これまで一度たりとも己れの生を生きたことがない、生きた覚えもないこと」であり、いわば「画家が永遠に姿をくらました世界に、一歩遅れて到来してくるもの」である。画家トヨシマが生きた時空間とは決してすれ違うことのない、ずっとのちの世代たる、なかのまりが生きる時空間とが、ひょっとしてすれ違うことがあったとすれば(!)―― 
 画家が痛切に希求したもの、それが「未生」であり、たとえばそれが、「雨月」をダンスに転生させた、なかのまりという別なる生だったのかもしれない。画家が立ち去ったあとの世界の景色を、画家に代わって眺望するだろう齢(よわい)少なき後発者たちに幸(さき)あれ(!)―― 確かにそれが画家の非望だったに違いない。
 
※「画家豊島弘尚 しのぶ会」問合せ:090-2998-0224/icanof8@gmail.com

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