露口啓二《自然史としての忌部山》に寄せて/豊島重之

豊島重之(ICANOFキュレーター)
 

モレキュラーシアター『のりしろ』公演より、四戸由香

モレキュラーシアター『のりしろ』公演より、四戸由香

『のりしろ』公演に出演した中野渡 萌が、新作ソロ『盲女の唄うたいのいる道で』に挑む

『のりしろ』公演に出演した中野渡 萌が、新作ソロ『盲女の唄うたいのいる道で』に挑む

豊島和子追悼作品『人称と所在』に出演する田中幸乃が、新作ソロ『アスファルト・バビロン bis 』に挑む

豊島和子追悼作品『人称と所在』に出演する田中幸乃が、新作ソロ『アスファルト・バビロン bis 』に挑む

(1)
今年2011年1月、杉並区立杉並芸術会館「座・高円寺 1」で、モレキュラーシアター演劇公演《のりしろ nori-shiro 》が2日間=2ステージとも盛況を呈して、図書新聞には、ジジェクやバディウの翻訳刊行で知られる現代思想の先鋭、松本潤一郎さん(自称「言語労働者」)による長文の公演評も掲載された。その理由の大半は、昨年2010年9月に八戸市美術館で開催された「ICANOF 10周年企画展=飢餓の國・飢餓村・字 飢餓の木(KwiGua)展」の図録、10年目にしてICANOF 初のハードカヴァー『飢餓の木2010』書評を兼ねていたからであろう。松本さんはその書評=公演評のなかで、いくつもの重要な指摘を惜しまないが、ひとつだけ挙げるとすれば、「本書は、右からも左からもスタートして(編集後記が本書の真ん中に配されているように)中心で終わる/中心を終える」異様な奇書であるという指摘だろう。今年8月末には、以文社配本分は全国書店の店頭から引き上げたが、御興味のある方は、このサイトから今でも入手できることをお知らせしておきたい。

(2)
それ以降、このサイトは更新しようにも叶わなかった。お察しの通り、「3.11」に見舞われたからであり、その直後に、ICANOF 創設の実質支援者でもあったダンスバレエリセ主宰の舞踊家、豊島和子が病没し、その葬儀・忌明け・新盆やらに奔走していたからである。リセ自体は、本棚や調度品が倒壊したほどの軽微な被災ではあったものの、沿岸部の工場地帯・魚市場倉庫・水産加工場をはじめ、八戸線・久慈線・三陸海岸線は、半年以上経っても一部復旧したにすぎない。旧・南部藩領の野田村・九戸村・田野畑村・種市町など、平安末期~南北朝~鎌倉期より知られた「鉄と馬と塩の特産地」であった沿岸部は、甚大な津波被災により、いまだに復興のメドは立っていない。とくに西回り廻船交易で歴史的に名高い「北前船(きたまえせん)」、その祖型たる「ムダマハギ(船板を重ね接ぎした木造船)」に匹敵する東回りの北三陸「サッパ船」の面影が消えたのは、返す返すも痛い。というか、平泉が「被災地効果」で世界文化遺産に指定された反面、その同じ「被災地効果」によって、多くの常民的な歴史遺産が人知れず忘却されていく、もう取り返しがつかないほどに。

(3)
台風一過。半円の虹が立った。振りさけ見れば、氷河のごとき雲塊がくっきりと微動だにしない。来たる10月23日(午後1時開演・入場無料・八戸市公会堂)ダンスバレエリセ55周年記念公演《ギンリョウのたびだち》が開催される。同名の記念誌はA4版・全カラー・148頁の「豊島和子追悼写文集」として、まもなく刊行される。巻頭を飾るのは、札幌在住の写真家、露口啓二さんの新作『自然史』8点である。これまで「地名」「ミズノチズ」「オホーツク・シモキタ」「イシカリへ」の連作で、ICANOF展でもおなじみの露口さん。それが今度はなぜ唐突にも『自然史』なのか。しかし、この主題こそ、露口さんがずっと暖めてきた 難問ではなかっただろうか。ひょっとして「3.11」が起きなければ、いまだ口には出さず、オモテには銘打たず、内奥にしまい込まれていたのかもしれない。「3.11」に揺さぶられて、「ポスト3.11」に真摯(しんし)に向き合うには、これしかないと、懐に忍ばせていた匕首(あいくち)を一閃(いっせん)させたのかもしれないではないか。

その露口さんから、序文を御寄稿いただいた。郷里徳島の知られざる古代民「阿波忌部(あわのいんべ)」に触れながら、これまで誰によっても定義づけされたことのない『自然史』の何たるかを問いつめていく、その姿勢には鬼気迫るものがある。上記「写文集」刊行のあかつきには、その写真作品も御覧いただこうと思うが、今はそれは伏せたまま、序文から想像を馳せてほしい。

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