《不穏な写真の不穏な問い》 「笹岡啓子――種差ninoshima 展」オープンに寄せて/根本忍
根本忍 NEMOTO Shinobu(作曲家・音楽家・都内在住)
►(1)
ジャン=ピエール・デュピュイが「人間の悪意やその愚かしさの結果というよりも、むしろ思慮の欠如の結果」と指摘し、プリーモ・レーヴィが「道徳的にありえないと思われることは、存在することができない」と書いたような状況・事態を目の当たりにすることが日常化した真夏日の砌(みぎり)、蛁蟟(ミンミンゼミ)と油蝉(アブラゼミ)の入り交じった鳴声と官邸周囲を旋回するヘリコプター飛行音とが起こす微細な周波数変調に聴き入りながら、汗ばむ手で笹岡啓子の『PARK CITY』を開いた。
開いた心算が進まない。
ここで蠢(うごめ)き騒(ざわ)めく局所的で多層的な「問いの界面」はどうだ。一枚の中に遍在する、我々の感覚与件が意識の志向性によって継起的に秩序づけられた時間とは全く異なる時間系列はなんだ。
►(2)
この作品群に於いて視られる暗部は夜の闇ではないのかも知れない。
いや、記憶或いは表象などと容易に連接され得る不可視性を、一旦留保する必要があるのではないか。場所性と歴史性からの逃走線といった或る種のクリシェや解釈機制を一旦停止させて、作品から逆に照射される眼差しに生身を晒してみる必要があるのではないか。
►(3)
同様に、二重性或いは二項対立的な意味性などを考えるよりも、尺度を持たずに、実存するものが意味の接触/界面へと晒され露呈していく様態を問わなければならない。
本来意味と名付けられる筈の布置が「無―意味」や「非―意味」、不条理など、言わば常軌を逸した「不穏さ」として生起し/消失する、その瀬戸際をこそ問わなければならないのではないか。
►(4)
とすれば、その「(意味性の)瀬戸際」は、分節されながら流れる形態/界面の破綻(はたん)と把持(はじ)、即ち「時間」=ある時間的厚みを持った持続に於ける(表象との)調停と同期を基本として、流れと澱み、彼岸と此岸、こちらとあちら、我々と他者、対象と観察者などの分離・分割を無効化するような「わたし」の収縮/膨張機制といった、因果関係を逆転させ得る時間的意識を以て触れる必要があるのかも知れない。
►(5)
流れるこれらの形態/界面は直ちに海と水のモティーフを、分節された澱みは島々=多島海のモティーフを想起させるが、この「海図」に於いては、笹岡のアジャンスマン――島と島とを多型的に繋ぐ企図のみならず抑々(そもそも)の地図を描出し様々な線・層・断片を分割・接合・配置させるような作業――それ自体をまずは堪能したい。
但し堪能する為のハードルは軽くはない。
►(6)
嘗て福島などからの移民に支えられたテニアン島から離陸したB−29により原爆を投下された廣嶋、原爆投下後に救助にあたった江田島海上挺進戦隊=暁(あかつき)部隊の四式肉薄(よんしきにくはく)攻撃艇即ちマルレと、救助拠点としての似島(にのしま)、同じくマルレが配備されていた福岡県北九州市門司区大積の蕪(かぶら)島、マルレと合わせてマルハと称されたマルヨン金物、即ち震洋(しんよう)が配備される筈だった青森県八戸市鮫町の蕪島という島々の照応。
淤加美神(高龗神)を祀る北九州の蕪島至近の清滝貴布祢神社、宗像(むなかた)三女神の多岐都比売命(たぎつひめみこ)を祀るという似島の竈(かまど)神社(荒神さん)、同じく宗像三女神の市杵嶋姫命(いちきしまひめみこ)を祀る蕪嶋神社という水神を巡る饗応。

(2点とも、笹岡啓子『PARK CITY』2009年 ©SASAOKA Keiko)
加えて『PARK CITY』のparkが仏語のparc、更にはラテン語のparricus=囲い込むこと/囲い込まれた場所の意味から来ており、同じくラテン語のpertica即ち測量棒、日本で云えば間竿(けんざお)がその更に古い語源と推測されること、現在でもヤード・ポンド法に於ける単位として残るパーチ=perchが長さのみならず面積・体積の単位でもあり、然も一辺1パーチの「正方形」の面積を表すことを想起すれば、何れも正方形であるこの笹岡の作品群に於ける平面性が喚起する「歪(ゆが)み」と、「わたし」の膨張=生霊(いきりょう)及び「幽霊」をも召喚せしめる「時間の歪(ひず)み」に慄然とさせられる心持ちがする。
►(8)
今回の展覧会は、上記の照応・饗応に加え、「三角州から島へ」「水の身体」を追う東琢磨(ひがしたくま)が馬淵川河口の元三角州至近=八戸市美術館に来訪し講演することもあり、服喪それ自体により徹底的に忘却される死者に就き、「消滅という極めて獰猛な意志を挫(くじ)くにあたって独自の素養(ディディ=ユベルマン)」をまだ発揮できるのかも知れない「写真」を接合点或いは媒体として、改めて「すべてに抗して」想像することを問う好機となろう。
笹岡作品の発する問いと「写真という問い」。
随縁と素位だけでは最早海を渡る浮嚢(ブイ)としては足りない状況下に生きる私にとって、これは僥倖(ぎょうこう)の事態である。