《マイマイガ、かくも美しき》3・4・5/豊島重之
わが種差海岸には、多くの天敵がいる。天敵が多ければ多いほど、そのダメージが激しければ激しいほど、種差は、毒気をはらんだ美しい「創=キズ」をパックリ開けて、訪れた人々を迎えうつ。この毒性の強い傷口をみない人々の描いた・撮った種差の景観は、絵画にしろ写真にしろ、一見して貧しい。どんなに起伏に富んだ種差の特徴を捉えたものであっても、端的に美しくないのだ。種差の天敵として、イの一番に挙げられるのが「オオハンゴンソウ」であり、意外に知られていないのが「マイマイガ」である。8月31日オープンの本展とともに新刊される『種差 四十四連図』の拙稿では、紙幅の都合上、その名のみ触れるに留めておいたけれども、この〈北島敬三「同名」写真集と、3万字強の豊島重之テクスト『種差の世紀』の二冊組み書籍〉もまた、本展の出品作であるという位置づけは、ことさら何度でも特筆されるに値する。
![]() 9月1日(日)14時半~「kapiw」 by NAKANO Mari |
種差固有の植生をたえず脅かしてやまない外来種オオハンゴンソウについては、改めて述べるまでもあるまい。ここでは、数年か十年に一度、八戸港から蕪島~種差海域にかけて大発生する、マイマイガの猛威を忘れずにおこう。マイマイガの幼虫はカラマツを好餌(こうじ)とするが、いざとなれば針葉樹・広葉樹・落葉樹を問わず、その貪食(どんしょく)ぶりたるや、種差「淀の松原」全容を枯死(こし)させるほどの猛威を呈する。いま私たちが目にしている松原は、たまたま奇蹟的に枯死を免れた「ヨホドの松原」と呼ぶべきだろう。イタコマイマイ石も、じつはマイマイガにやられた口なのかどうか。今年も市の環境保全課や港湾事務所の職員総掛かりで、海辺の樹蔭・緑蔭にこびり付いたマイマイガの卵塊(らんかい)駆除に当たったが、焼け石に水である。世界中でアルカロイド系など色々な駆除剤が試されたものの、今のところ、こんな素朴な人海戦術しか手はないらしい。西日本各地の大発生に続いて2003年には道央圏で、2008~09年には岩手県(葛巻・九戸を中心に)沿岸部での大発生が報じられた。だがそれ以前から、マイマイガ発生の「ハイリスク港」として全国に悪名を轟かせてきたのは、カナダ北米コンテナ航路を有するわが八戸港である。当初はそれが原因だと推察され、経済的ダメージを覚悟して北米航路を断ち切ってはみたけれど、地球温暖化・成層対流圏の歪みによるゲリラ豪雨・地崩れ・森林破壊さながら、マイマイガ大発生はいつ起こってもおかしくはない、という危機的状況に変わりはない。
日本を含む北半球温帯域に汎存しては大移動を繰り返す「侵略的外来種ワールドワースト100」の悪名高きマイマイガ。その学名「リュマントリア・ディスパル(Lymantria dispar)」、英文通称「Asian Gypsy moth」、和名「舞々蛾」。メス成虫の発するフェロモンに惑わされたオス成虫の上下にヒラヒラ飛ぶさまから、「舞々蛾」なる和名が着想されたという。それなら、蝸牛が螺旋状に被殻を「巻きに巻く・播きに播く・マイマイ」の渦から来歴したとしても不思議はない。海洋(オーシャン)から海洋へ港湾(ポルト)から港湾へと「渦まく・撒播する」特性を、リュマントリアは示している。のみならず、茶褐色で体長も小ぶりなオス成虫と、白色で体長も倍以上のメス成虫との「不等性・非ペア性 disparity」から「ディスパル」と名づけられた。これを私は新刊拙著のなかで「ディスパリシヨン(disparition・失踪・亡滅)」に転轍(てんてつ)させている。エジプシャン由来のジプシーは「非 – ヨーロッパ人」を意味する差別用語につき使用厳禁なのだが、古代インドに遡る流浪の民「ロマ・ロマーニ・ドマーニ」のことだとすれば、マイマイガの遊動性・世界規模の大回流を表す「ジプシー・モス」は、あまりにもハマりすぎた通り名ではないか。とくに学童期に「マイムマイム」など、スーフィー旋回舞踏(Whirling Dervish Sema)めいたフォルクローレ・フォークダンスに慣れ親しんだ私のような者にとっては。ネーションにもステートにも帰属しない棄民たちの大回流、国境なき異族の遊動性「戦争機械」。もはやマイマイガを、そう呼ぶことにしよう。わが種差は亡滅と紙一重の、それだけに亡滅と闘いうる「戦争機械」なのだと。
天敵は、オオハンゴンソウやマイマイガなどの外来種には限らない。本当の敵は、私たち自身の内側に、内心にこそ潜んでいるものである。蕪島ライトアップや防潮堤構想はもとより、ハマ再生をめぐる観光掘り起こしや環境保全の人為もまた、時として天敵となりうることを危ぶむ。にもかかわらず、隆起型海成段丘たる種差岩礁それ自体が「戦争機械」と化して、ヒトビトの思惑をこえていくにちがいない。では、イタコマイマイ石はいかなる戦争機械なのか。かつて陸奥(りくおう)八戸には、タマオロシ=降霊・セアンスに長けたイタコ=巫女さんが多く住んでいた。隣家がイタコの「大釜さんち」で、月に数回は護摩壇の火を焚いてタマオロシをしており、幼い私のゆえなき恐怖心を掻き立てずにはいなかった。小六か中一の頃か、もう覚えていないが、大釜さんは引っ越ししていくことになり、隣付き合いの誼(よしみ)で我が家が買い取ることになった。小さな書道塾 兼 バレエ教室にリフォームされたのである。天井裏に私の勉強部屋も。入り口の梁が低くて、入室時には注意を欠かさないが、出室時にはよく頭をぶつけたあの小部屋のことを。話を戻そう。今はイタコさんも激減して数人のみと聞く。根城や南郷のイタコさんは御健在だろうか。
![]() 8月31日(土)9時~ 「3F 常設上映」 by TASHIMA Chiyuki |
なぜ種差のイタコにマイマイが連接するのか。通例、イタコは遺族の話を聞いてすぐ降霊・セアンスに入るわけではない。前和讃としてオシラ祭文(さいもん)=馬娘(ばじょう)・異類通婚譚(つうこんたん)を朗誦してからである。一口にいうと、養蚕起源を示唆する、馬に恋した娘の悲話。カ(クワ)イコの白い繭と桑(クワ)の枝に重ね着させたオス・メスのオシラ神。朝鮮半島・新羅(シルラ・シラ)から渡ってきたオシラ神。それが百太夫・白太夫(はくだいふ)や白拍子・白比丘尼(シラビクニ)という歌舞音曲の遊行芸に転じていった。カイコの「虫の告らせ・オシラセ」が亡魂の口に宿るには、クワの娘とクワの異類との重ね舞い「マイマイ」が欠かせない。しかも粗末な板っ切れに静座して口寄せをするイタコは、船乗りたちの合い言葉「板子一枚 下は地獄」の板子に通脈していた。いかに屈強な船であれ、時化や暗礁や渦流に巻き込まれては、ただの板っ切れ一枚にすぎず、それが嵐の海に錐揉(きりも)むようにマイマイしていくさまを、あのイタコマイマイ石がおのずと物語っている。ハマの地獄はたちまちオカの地獄へと引き継がれ、陸奥の山間地にまでオシラ信仰となって伝承される。そこに種差の変曲線を引かなくてはならない。
19世紀後半に、北米で秘かな実験が行なわれていた。きわめて病害に脆く養蚕に不向きな土地にカイコを根づかせるべく、ヨーロッパから病害に強いマイマイガを移入し、品種改良の交配実験が繰り返されたのだ。それがカイコガ、学名「Bombyx mori ボムビクス・モーリ(死の爆弾)」である。結果的には北米での養蚕強化計画は頓挫し、マイマイガの危険を察して一斉駆除に奔走したが、絶滅というにはほど遠く、以後「死の爆弾」を伏在させるにいたったという顛末。のちのロス・アラモスやラッキー・ドラゴンの前触れでもあったのだろうか。忘れずにおきたい。わが種差海岸には、ボムビクス・モーリ(死の爆弾)の異名をもつ「戦争機械 マイマイガ」が、いまや遅しと再発生のチャンスを狙っていることを。もうひとこと。あれほど病害に強くどんな防除策にも抵抗力を発し、人海戦術による駆除にもビクともしなかったマイマイガの猛威は、どうして長くは続かないのだろうか。種差にとって天敵たるマイマイガに、じつは天敵がいたのである。ナスカ高原の地上絵としても名高い静止飛行の名手ハチドリの天敵が、ほかならぬハチであったように、マイマイガの天敵は、ほかならぬマイマイガ・ウィルスであった。幼虫から成虫までの長い潜伏期を不活性なまま寄生しつつ、いよいよ大発生期にいたるや、そのウィルスが獰猛なまでに活性化する。自分で自分の首を絞めるかのように。すでに大発生に力を使い切ったマイマイガには、いわば「獅子身中の虫」を克服する余力は残っていない。大発生の猛威それ自体が、自滅への途上にほかならず、猛威が止むとウィルスもまた毒気を抜かれて不活性化する。それなら初めからウィルスで人為的に叩けばどうか。残念ながら人類の科学はそこまで及ばず、今のところ、いや、この先ずっと、ただ指をくわえて見守るほかない。この事態こそが、戦争機械の証左でもある。
![]() 9月1日(日)14時半~ 「kapiw」 by NAKANO Mari |
9月1日(日)14時半スタートのダンス公演『kapiw カピウ・かぷしま』に出演する、中野真李と田島千征もまた、カイコガ・マイマイガの妖(あやか)しであるといってよい。仮にもし、仮にわが種差がディスパリシヨン=亡滅に晒されているとしたら、辛うじてディスパリシヨン=失踪を免れるとしたら、あのジプシー・モスの大遊動・大回流を想起しよう、このふたりの戦争機械が作動しているからである。ボムビクス・モーリ(死の爆弾)を忘れてはならない。それは確かに、私たちに計り知れない死をもたらしたが、とともに、その死がいまだ終わってはいないことを、この先も次々と繰り出される「爆弾の死」を言明している。マイノリティに対する「ヘイト・スピーチ」や新手の「死の商人」がこの世界を徘徊する限り、すべてのボムの「死・根絶」が容易ならぬ祈りに近いものであればあるほど。八戸市美2Fギャラリーでのダンス公演の直後、その問題提起を受けて15時から2F講義室で始まる山内明美さんのトークも、私にいわせれば「戦争機械の異なるアスペクト」をめぐるものとなるのではないか。同時に、8月31日(金)9時オープンの3Fギャラリー「北島敬三+ICANOF:〈蕪島〉トリプル・プロジェクション」とも交響する。それらの集中砲火を浴びてこそ、スリリングな戦争機械の何たるか、があぶり出されるだろう。本展のみどころはそこにある。
(2013・Aug. 12th 豊島重之)

8月31日(土)9時~ 北島敬三+ICANOF+佐藤英和「3F 常設上映〈蕪島〉」「にのいち」「のりしろ」 performed by NAKANO Mari, TANAKA Yukino, TASHIMA Chiyuki, OHKUBO Kazue, and others. (All photos by ICANOF ©dblycee)